法然院サンガ: 000

法然院サンガからのご案内

N-0000-J

「霊舞」『態変』の法然院公演

 高城修三(芥川賞作家)


法然院を舞台にして何かを演じようというのは、単なる思いつきで出来ることでない。

京都東山、善気山の山すそをゆるやかに登る端正な参道が急角度で折れると、正面に、
簡素なたたずまいの茅葺きの山門が見えてくる。思わず背筋が伸びる。右手の山すそに
法然、谷崎潤一郎、九鬼周造といった著名人士の墓地を意識しながら山門に近づけば、
「不許葷辛(くんしん)酒肉入山門」のいかめしい標柱が立っている。峠を越えるよう
に石段を登り降りして山門をくぐると、そこは境内と言うよりも一つの異界である。

両脇の白砂壇に浄化され、善気山から落ちた聖水をたたえる放生池を右の小橋で渡る。
そこからは天然の苔が木下(こした)闇の地を覆うている。その向こうに堂舎を構える
法然院は今も昔も念仏修行の根本道場であり、その凛とした気配は参道をたどり始めた
ときから、もう人間の意識をからめ取っている。

容易ならざる場所である。人間の都合に合わせてくれるところではない。下手をすれば
演技そのものが浮いてしまうか、壊れてしまう。しかし、『態変』の公演「霊舞」に、
それは杞憂だった。

初め、さり気なく南書院に導かれる。人いきれで蒸し暑かった。杉が一列に栽植された
だけの細い露地庭越しに、向かいの本堂の縁で「いつ始まるともなしに」序の舞が始ま
る。劇的な動きも衣装も言葉も取り払われたレオタードの身体が、表現できない何かを
表現しようとしている。このとき私は、『態変』が「障害者の」劇団とは知らず、もち
ろん受付で手渡されたパンフレットにも目を通していなかった。おどろきだった。おど
ろきは予期せぬ出来事に出会って魂が裸でそのもの自体に向き合うことに他ならない。
いちいち挙げられぬが、公演の最後に至るまで、それはつづいた。

ほどなくして演技が終わり、軽い興奮の冷めやらぬうちに大書院へ誘導される。縁越し
に中庭の景がひろがる。梅雨時の憂鬱なほどの緑だった。その向こうに方丈が見え隠れ
している。それらが逆光の中で重層的な舞台を構成していた。演技者たちの身体はそれ
ぞれの固有の速度で観客の視界を横切り、幾重にも重なりながら、しかし決して交わる
ことがない。あれは、肉体のもつ孤独そのものの姿であったかも知れない。

ついで方丈へと導かれた。手際のよい進行だった。複雑に入り組んだ法然院の堂舎と、
それをつなぐ回廊を渡っていくと、手入れの行き届いた簡素な中庭の景が、右に左に、
建物と柱によって矩形(くけい)に枠取られ、次から次へと変化してやまない。序・破
・急と変転する舞台に向かって、観客もまた視点を変え、姿勢を変え、自らの身体を、
移動させなければならない。それが、やがて方丈で演じられる「霊舞」に対峙する精神
を整えてくれるのだ。

狩野信光筆と伝える桃山風金碧画のある方丈座敷が百人余の観客席で、方丈の広縁と、
その縁先、善気水の湧く池を中心にすえた方丈庭園が舞台であった。その向こうは善気
山の山すそを埋める深緑の木立がもう夕闇をひろげ始めていて、幽玄の気配を濃くして
いた。

黒いレオタードに包まれた肉体が広縁の右から左へと激しくのたうち反転しながら、不
可視のものを現前させようと苦悶する。演技者の肉体が、運動の不全性のゆえに、その
理想とする究極の運動を見るものに幻視させる。演じようとする身体の苦痛と快感が匂
い立つ。その向こう、善気山の木下闇から、極力動きを抑制された舞を舞ながら、別の
演技者が現れる。それは善気山の闇から顕現した神霊を思わせた。彼は、池の橋を渡る
手前で動きを止める。あくまで彼岸の者として、黙することによって叫び、動かぬこと
によって激しく表現しようとする。

舞台に天が感応したように、突然の豪雨となった。広縁をのたうつ黒い男の動きをから
めとるようにして、立ち姿の女が赤紐を投げつける。天つ神にまつろわぬ者として退治
されながら、再び平安王朝の闇に出現した「土蜘蛛」を想わせた。黒い土蜘蛛は不可視
のものにあやつられるように、自らを赤紐でがんじがらめにしていく。その眼が最前列
に座した私をきっと見すえる。手をのばせば届く距離だ。私も思いっきり見つめ返す。
その向こうに、青いレオタードに包まれた肉体が、予見不可能な動きを見せて現れる。
舞台と天地をゆるがす豪雨が、一人の観客である私と、のっぴきならぬかたちで緊縛し
合っていた。

身体の動きが奪われれば、言葉を発するしかない。その言葉も奪われれば、魂が叫ぶし
かない。

『態変』の公演を観たあと、雨の止んだ東山山麓の濃い闇を歩きながら、表現とは何か
身体とは何か、と興奮のうちにつぶやいていた。観る者に次から次へと問いを発し、多
様の解釈を許す舞台であった。法然院のありようばかりか突然の豪雨さえ難なく取り込
んでしまう演出も見事であった。観劇中、『態変』が、「障害者の」劇団であるという
ことも忘れていた。唯一それを意識したのは、障害の軽い演技者の動きにぎこちなさが
感じられたときだった。身体の動きが十全であればあるほど、肉体はその究極の地点を
めざして練度をより高めなければならない。そのとき「障害者の」という限定詞は不要
のものとなる。



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